谷口奈保子先生講演会    2011.05.15


福祉に対する発想の転換を

 しかし、こういう社会活動は一人でできるものではないんです。一人でも多く一般の人を巻き込んでやらなければ地域は変わらないと思います。ですから、「たまり場ぱれっと」の活動から始まってこれまで、「ぱれっと」は相当の数のボランティアさんが出入りしています。

 パレットというのは絵をかく時に使う道具で、絵具を混ぜ合わせる板ですが、「ぱれっと」の上に乗せる色を人に置き換えて、いろいろな人が混じり合って、新しい色、可能性を生み出すようにという思いをもってつけた名前です。そういう様々な人の色、つまり知恵や金、力がある人は体力を提供してそれぞれの持っているものを混ぜて、深みのある色で何か新しいもの、障害者の可能性を生み出していこうという思いを込めています。

 それは職員にも当てはまります。私は採用するときに、二つのソウゾウ的センスを持った人を採用しますと断言しています。クリエイティブな意味の創造性と、イマジナティブな意味の想像性という二つのソウゾウ性をもっていない人は「ぱれっと」ではおそらく働けないでしょうね。他人が敷いたレールの後ろについてただ漫然と走るのではなくて、本線を敷いたんですから自分たちで支線を敷きなさい。そのくらいの発想がなければだめですよ。

 時代は変わっていきます。ぱれっとが最初に打ち出したのは、「福祉に対する発想の転換」という流れです。つまり、従来型の障害者を守る福祉ではなく、彼らを社会に押し出す福祉を訴えました。そのときに私が非常に困ったことは、親御さんとの戦いでした。そう、親御さんとの戦いの30年だったといっても大袈裟じゃないんです。つまり私と親御さん、そこには大きな壁があるのです。30年前と今とでは隔世の感があります。 何をしても、私の発想はちょっと違うのでは〜、と親御さんたちに言われました。谷口さんの福祉は派手すぎる。福祉というのは、お金はお上からもらうもので、自分で生み出すものではない。自分の子どもが社会にご迷惑をおかけしないように、皆さんに見守られて生活するものだと。これには私は強く反発しました。冗談じゃない、あなた方はいつまでそうやって子どもの面倒を見るのですか?あなたが先に死ぬに決まっているじゃないですかと。最後には、親御さんは、谷口さんはそういう子どもを育てたことがないから、私の気持ちがわからないのよと泣きだすんです。

 会議の場でも、議論になると必ず自分の子どもに重ね合わせます。障害者と健常者が共同生活をする家「いこっと」をつくる時もそうでした。「いこっと」をつくっても、私の子どもは重度だからはいれませんので、というわけです。必ずそういう答えが返ってくる。気持は分かります。でも、それでは社会は変わらない。障害が軽度でいいわねえ、うちは重度だからと言いあって比較論で話をしているのでは解決できませんよ。障害が重度の人もいれば中度、軽度の人もいる。障害の程度がちがうだけでなく種類も違う。自閉症の子供だからと言って十把一絡げで全ての子どもを「自閉症」で括れるのか。そんなことありえない。十人いれば十人の障害は違うし程度も違う。一人ひとりに合った支援をするということが本当の支援じゃないでしょうか。その人のニーズに合ったサービスを生み出すこと。あなたの子どもは重度で「いこっと」の共同生活には向いていない、でも、障害の軽い人でも沢山の問題を抱えている。だからこそ、ニーズに合わせて社会を一つ一つ変えていくしかないんですよ、と言っても理解してもらえないことが多いのです。

 1985年にクッキーの製造・販売の作業所「おかし屋ぱれっと」を作ったときも、自分の子どもの作ったクッキーなんて売れない、売る自信がない。第一儲かるはずないじゃないですか、一般の人たちは障害者が作ったクッキーなんて気持ち悪いから買わないですよ、と。今はどうですか?全国津図浦々に食べ物をつくる作業所があたり前のようにあります。ここまで来るのに25年かかりました。本当に、世の中を変えるのに25年かかるんですよ。世の中が変わってきているのですから、障害者福祉もこれから大きく変わるはずです。

 でも、親御さんや家族だけで変えられるものではありません。だから、色々な人を巻き込んで、障害者にとって当たり前の社会にするということは当然のことだと私は思います。障害者を社会へ強く押し出していく、そういう流れを作るのは、実は皆さんもその責任を持つ一人です。親御さん抜きでの変革は無理です。親御さんの知恵がほしいんです。体験も欲しいんです。



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